オーメン新旧比較。見る順は公開順だ……で悪いか!

ホラー映画の金字塔『オーメン』が、48年の時を経て再起動した。

1976年版の古典的傑作と、その前日譚を描く2024年版『ザ・ファースト』。

この二つの作品を並べることは、単なる新旧比較ではない。

それは、半世紀における「人間の恐怖の対象」の変化を映す鏡だ。

運命に翻弄される父親の悲劇か、組織に搾取される個人の抵抗か。

どちらから観るべきか迷う、そんな優柔不断なあなたのために。

建築家が図面を引くごとき緻密さで、両作品の違いと魅力を徹底解説する。

これを読めば、あなたは理解するだろう。最大の恐怖は悪魔ではなく、

「家族」というシステムそのものに潜んでいるということを。

目次

序論:獣の数字「666」と、ヨハネの黙示録が予言した「家庭内不和」

そもそも、「666」という数字が何を意味するか、正確に理解しているか?

『ヨハネの黙示録』第13章18節。「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間を指すものである。そして、その数字は六百六十六である。」

映画のヒット以来、この数字は悪魔の代名詞となったが、聖書学的にはローマ皇帝ネロ(Neron Caesar)の名前をヘブライ文字にして数値化した暗号だという説が有力だ。つまり、本来は悪魔というよりも暴君や圧制的なシステムを指す隠語だったわけだ。

1976年の『オーメン』が画期的だったのは、この神学的なガジェットを、教会の外ではなく、最も世俗的で平和な一般家庭(外交官の家)の中に持ち込んだ点にある。

これは建築で言えば、一見すると堅牢な鉄筋コンクリート造の豪邸に見えて、実は基礎杭(パイル)が腐っているようなものだ。

外見は幸福そのものの家族に、決定的なエラー(悪魔の子)が紛れ込む。この構造的欠陥の露見こそが、『オーメン』の本質だ。

今回は、この呪われた建築物とその増築部分(前日譚)を、以下の4つの視点から構造計算し直す。

  1. 恐怖の工法: 「静寂」の旧作と「疼痛」の新作

  2. テーマの骨格: 「父性の敗北」vs「母性の搾取」

  3. 音楽の周波数: ゴールドスミスが仕掛けた不協和音の魔術

  4. 鑑賞の導線: どちらの扉から入るべきか?


第1章:1976年版『オーメン』——「見えない恐怖」による完璧なモダニズム建築

1. リチャード・ドナーが採用した「引き算」の美学

1976年版を監督したリチャード・ドナー。後に『スーパーマン』や『リーサル・ウェポン』を撮る男だが、彼の演出手腕は、この『オーメン』において頂点に達していると言っていい。

彼が採用したのは「引き算」の恐怖だ。

画面に悪魔そのものは出てこない。赤い肌の怪物も、角の生えた獣もいない。

ただ、日常の風景の中で「何かがおかしい」という違和感だけが積み上げられていく。

例えば、家政婦が自殺するシーン。

彼女は狂乱して叫び回るわけではない。晴れやかなパーティーの最中、満面の笑みで「これはあなたのためよ」と告げ、窓から飛び降りる。

この「日常と異常のシームレスな接続」こそが、ドナーの真骨頂だ。

ル・コルビュジエの建築のように、無駄な装飾を排し、機能美(ここでは恐怖を与える機能)だけを突き詰めた結果、時代を超えても古びないモダニズム・ホラーが完成したわけだ。

2. ジェリー・ゴールドスミスの「アヴェ・サタニ」という構造材

この映画の恐怖の50%は、ジェリー・ゴールドスミスの音楽によって支えられている。

アカデミー作曲賞を受賞したアヴェ・サタニ(Ave Satani)。ラテン語でサタン万歳を意味するこの曲は、単なるBGMではない。

低音のコーラスが唱える呪文のような旋律は、建物の共振周波数のように、観客の不安感を物理的に増幅させる。

彼は、聖歌(ミサ曲)のスタイルを模倣しながら、和声をあえて崩すことで「神への冒涜」を音響的に表現した。

クラシック音楽を愛する私としても、このスコアの完成度には舌を巻く。マーラーの交響曲のような重厚さと、ストラヴィンスキーのような野蛮さが同居している。指揮棒を振りたくなる衝動を抑えるのが大変だ。

3. 「オーメンの呪い」に見る確率論的考察

よく「スタッフに不幸が続いた」という「オーメンの呪い」が語られるが、ホラー映画通のあんたなら分かるだろう?

これは「確証バイアス」と「少数の法則」の典型例だ。

映画製作には数百人が関わる。撮影期間中に誰かが事故に遭ったり、飛行機にトラブルが起きたりする確率は、統計的にゼロではない。

特に悪魔映画というバイアスがかかっているため、些細なトラブルまで呪いとしてカウントされ、記憶に定着してしまう。

要するに、呪いとは超常現象ではなく、人間の脳が作り出した認知のエラーだ。

だが、そのエラーさえも映画の宣伝(プロモーション)に利用した配給会社の商魂こそが、ある意味で一番のホラーかもしれないな。


第2章:2024年版『オーメン:ザ・ファースト』——現代的改修(リノベーション)としての「痛み」

1. 前日譚という名の「基礎補強工事」

続編やリメイクの多くは、単なる蛇足(違法建築)に終わることが多い。

だが、この『ザ・ファースト』は違う。

1976年版という「本館」の地下に潜り込み、その基礎部分を掘り返して補強するような作業を行っている。

「ダミアンはどこから来たのか?」

旧作では山犬が生んだというオカルト的な説明で片付けられていた部分に、極めて現代的かつ陰謀論的なメスを入れた。

教会という巨大組織が、人々の信仰心を取り戻す(恐怖による統治を行う)ために、人為的に「反キリスト」を製造するプロジェクトを進めていたとしたら?

これはもはやオカルトではない。ポリティカル・サスペンスだ。

冷戦時代の恐怖を描いたのが旧作なら、本作は「組織の腐敗」と「生命倫理の暴走」という現代の病巣を描いている。

2. 「ボディホラー」による生理的嫌悪の喚起

演出面での決定的な違いは、痛みの表現だ。

新鋭アルカシャ・スティーブンソン監督は、クローネンバーグ映画のような「ボディホラー」の手法を取り入れた。

女性の体内から何かが生まれ出ようとする違和感、強制的な出産、裂ける肉体。

旧作が「精神的な恐怖」だったのに対し、新作は生理的な恐怖に訴えかける。

これは、現代の観客がCG慣れしてしまい、ちょっとやそっとの幽霊では驚かなくなってしまったことへの対抗策だろう。

痛みは普遍だ。画面越しでも、痛覚神経を刺激される感覚は、誰しもが共有できる。

建築で言えば、打ちっ放しのコンクリートの荒々しさを、あえて内装に残すブルータリズムのような力技だ。

3. フェミニズム的視点からの「構造批判」

見逃せないのが、主人公マーガレットの立ち位置だ。

彼女は、旧作のソーン大使(男性・権力者)とは対照的に、組織の中で最も弱い立場にある「若い女性」だ。

彼女の身体は、教会の目的のために搾取される対象となる。

これは、昨今の社会問題となっている女性の自己決定権やガスライティング(心理的虐待)への強烈な批判を含んでいる。

お前は精神的に不安定だと周囲から言いくるめられ、真実を訴えても信じてもらえない恐怖。

これは、ホラー映画の皮を被った、家父長制社会への告発状とも読める。


第3章:比較対照表——新旧のスペック(仕様)の違い

ホラー映画通のあんたには、こういう比較データの方が分かりやすいだろう?

この表を見れば、両作品が似て非なるものであることが一目瞭然だ。

比較項目 1976年版(オリジナル) 2024年版(ザ・ファースト)
恐怖の種類 静寂、不穏、精神的圧力 疼痛、衝撃、生理的嫌悪
死の描写 ピタゴラ的・偶発的な事故死 直接的・暴力的な破壊
テーマ 父性の崩壊、抗えぬ運命 信仰の欺瞞、身体の搾取
敵の正体 見えない悪魔、運命 腐敗した組織、人間
音楽 荘厳な聖歌と不協和音 前衛的ノイズと叫び声
家族観 守るべき聖域(だが崩壊する) 呪われた実験場

要するに、旧作は「守るものが崩れる恐怖」、新作は「逃げ場のない檻に入れられる恐怖」だ。

どちらも地獄であることに変わりはないがな。


第4章:結論——この「悪夢の二世帯住宅」をどう歩くべきか?

推奨ルートA:【正統派・歴史探訪コース】(1976年→2024年)

対象: 物事の因果関係を正しく理解したい、論理的な人間。

理由:

まず1976年版で「ダミアン」という結果(アウトプット)を知る。

その上で2024年版を観ることで、「なぜそのアウトプットが出力されたのか」というプロセス(ソースコード)を解析する楽しみが得られる。

映画のラストで繋がる瞬間のカタルシスは、この順番でしか味わえない。建築で言えば、完成したビルを見てから、その設計図の秘密を知るような知的興奮だ。

推奨ルートB:【時系列・没入コース】(2024年→1976年)

対象: ストーリーの矛盾を許せない几帳面な人間、あるいはホラー初心者。

理由:

物語の時間軸通りに進むため、混乱がない。

『ザ・ファースト』で描かれる悲劇的な結末を知った直後に1976年版を観ると、ソーン大使がダミアンを引き取るシーンが、単なる善意ではなく「仕組まれた罠」であることが痛いほど分かる。

旧作がサスペンスから「ノワール(暗黒街もの)」のような悲劇性を帯びて見えてくるはずだ。


総括:結婚もまた、一種の「オーメン(予兆)」である

『オーメン』シリーズが描き出すのは、悪魔の恐怖だけではない。

「自分の子供であっても、理解不能な他者である」という、子育ての究極のリスクだ。

1976年版のロバート・ソーンは、世間体や妻への配慮というからダミアンを引き取り、結果として破滅した。

2024年版の登場人物たちは、組織の利益という大義のために子供を作り、やはり破滅した。

共通しているのは、子供や家庭というものを、自分の人生を飾るためのアクセサリーや道具として扱ったことへのしっぺ返しだ。

そこに愛があったとしても、システムのエラー(悪魔の介入)は避けられない。

あんたも、アプリで「理想の相手」を探しているようだが、気をつけろよ。

画面の向こうにいるのが、運命の相手なのか、それともあんたの人生を破壊するために送り込まれた「666」の使者なのか。

その区別は、悪魔祓いのプロでもつかないんだからな。

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この記事を書いた人

「ホラー映画とは、設計ミスをした人間に下される鉄槌である」が持論の偏屈建築家。 お化け屋敷の動線からゾンビパンデミックの拡散シミュレーションまで、映画の中の「恐怖」ではなく「構造」を評価する。 ジャンプスケア(驚かし)には眉ひとつ動かさないが、非論理的な行動で事態を悪化させる登場人物には容赦なくダメ出しをする。 「一人で観る」のが基本スタイル。絶叫は騒音。以上。

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