スペースバンパイアという杜撰な闇鍋建築とマチルダ・メイの呪縛

やれやれ。一流のスタッフが集結して、大作SFとして勝負しようとした結果、なぜこれほどまでに歪(いびつ)な欠陥住宅が建ってしまったのか。1985年の『スペースバンパイア』は、興行失敗という名の地盤沈下を起こしたわけだが、その破綻っぷりには、今の媚(こ)びへつらったわかりやすい映画にはない、奇妙な構造美がある。失敗作として解体されるべき粗大ゴミが、なぜビデオ時代を経てカルト映画という名の文化遺産に認定されたのか。その欺瞞(ぎまん)に満ちた設計図と、マチルダ・メイという強烈な呪縛について、俺流に論理的に解剖する。

目次

一流の食材で闇鍋を作った杜撰な設計図

ポルターガイストとエイリアンの不愉快なコラボ

1985年公開。英題は『Lifeforce』。原作はコリン・ウィルソンの『宇宙ヴァンパイア』。監督はトビー・フーパー。『悪魔のいけにえ』でホラー界に強烈な傷跡を残した男だ。

ここまではいい。だが、問題はここからだ。脚本にダン・オバノン(『エイリアン』)、特殊効果にジョン・ダイクストラ(『スター・ウォーズ』)、音楽にヘンリー・マンシーニ(『ティファニーで朝食を』)。

バカかお前は。これだけの面々を集めて、なぜこの中身になる?

要するに、一流の食材を集めて闇鍋を作ったようなものだ。低予算でこっそり作ったB級映画ならまだ許せる。だが、これは大作SFホラーとして本気で勝負しようとした映画だ。大作の顔をしているのに、中身があまりにも奇妙。その設計図と現物の落差こそが、この映画の厄介な魅力なわけだが、俺ならこんな構造計算書、絶対に判は押さんね。

あらすじ――杜撰な安全管理が招いた幕の内弁当パニック

序盤はSF、中盤はホラー、後半はゾンビの詰め込みすぎ構造

物語は、ハレー彗星に近づいた探査船が、巨大な宇宙船を見つけるところから始まる。船内には、人間そっくりの異星人が眠っている。その中でも、マチルダ・メイが演じる女宇宙人は、強烈な存在感を放つ。

やれやれ。ハレー彗星に近づく?未知の宇宙船探索?そんな杜撰な安全管理でよく宇宙へ行けたな。危機管理意識が低すぎる。バカかお前は。

持ち帰られた異星人は人間の生命エネルギーを吸い取り始め、吸われた人間は干からびてゾンビ化し、ロンドンは地獄絵図になる。

序盤は宇宙SF、中盤は吸血鬼ホラー、後半はゾンビ映画のような感染パニック。普通ならどれか一つに絞る。だが、この映画は絞らない。全部やる。幕の内弁当どころか、ラーメンにカレーとピザを乗せたようなものだ。しかもそれを、トビー・フーパーは大まじめにやる。そこが普通の失敗作で終わらなかった部分なわけだが、要するに、整理整頓ができない奴が作った家と同じだ。ほっといてくれ。

なぜ興行失敗したのか――当然の帰結だ

マーケティングという名の地盤調査不足

北米興行収入は製作費に届かなかった。製作費約2500万ドルに対し、北米興行収入は約1160万ドル。映画会社にとっては笑えない話だ。

当然だ。映画を観ればその理由は一目瞭然。宣伝しにくい。 宇宙SFとして売るにはホラーが強すぎる。吸血鬼映画として売るには宇宙船の場面が長い。ゾンビ映画として売るには、そこへ行くまでにかなり遠回りする。

観客がチケットを買う前に、何の映画なのかが一瞬で伝わらない。ポスターを見ても、楽しいSFのか、怖い映画なのか、変な映画なのか、判断できない。結果として、わかりにくさとして受け取られてしまった。誰に売るつもりか決まっていない設計は、必ず崩壊する。要するに、マーケティングという名の地盤調査不足だ。

日本でのカルト化という虚しい話

日本では一定の存在感を残した。配給収入は約11億円。タイトルの力が大きかったはずだ。『スペースバンパイア』。宇宙と吸血鬼をそのままつなげた、少し笑ってしまうほど強い邦題だ。

レンタルビデオ店の棚でこのタイトルを見たら、つい手が伸びる。劇場で大成功した映画ではない。だが、ビデオ時代にしつこく記憶へ残った。要するに、現場(劇場)では勝てず、中古市場(ビデオ)でカルト化。虚(むな)しい話だ。

1980年代のSFホラーという時代背景――過剰さこそが時代

宇宙への夢と恐怖の不安定な構造計算

宇宙への夢と恐怖が同時にあった時代。『E.T.』のように優しく描く映画もあれば、『エイリアン』のように恐怖を描いた作品もあった。 『スペースバンパイア』は、その二つをかなり強引に混ぜている。

夢と恐怖を混ぜる?そんな不安定な構造計算、俺なら絶対に許さん。科学の好奇心が人類の危機を呼び込むという構図は、今観ても古びていないかもしれないが、未知のものを安全確認しないまま扱う怖さは、ただの危機管理能力の欠如だ。バカかお前は。

ハレー彗星ブームと杜撰な設定の合致

ハレー彗星ブームと映画の設定が重なる。1985年から1986年にかけて、ハレー彗星への関心が高まっていた。その裏にある落ち着かない不安。 『スペースバンパイア』は、その時代の空気をかなり悪趣味な方向へ振り切った。ハレー彗星の近くに宇宙船、美しい異星人、生命力を奪う。

大げさな設定を大画面で押し切る力があった1980年代の過剰さ。この映画の魅力は、まさにこの過剰さだ。説明よりも先に、異様な映像を投げつけてくる。その乱暴さが、逆に忘れにくい。媚(こ)びたわかりやすさがない。その点だけは、今の映画よりはマシだな。

バージョン違いが評価を分けた――15分で何が変わる?

アメリカ劇場版101分と、国際版116分がある。

短い版は物語の流れが急に感じやすくなる。杜撰(ずさん)な設計を無理やり短縮すれば、継ぎ目が荒くなるのは当然だ。もともと要素が多いのに短くすれば、余計に荒さが目立つ。

国際版は116分。長くしても変な映画であることに変わりはない。だが、長い版のほうが、変な映画としての呼吸が残っている。宇宙船内部の不気味さ、生命力を吸われる過程。これらを少し余裕を持って見られるため、映画の世界に入りやすくなる。

もし初めて観るなら長い版?よけいなお世話だ。短い方でサッと終わらせた方が、時間の無駄にならない。バカバカしい。

マチルダ・メイ――また裸の話か、バカバカしい

映画の顔になった存在感。セリフで説明する役ではない。美しく見えるが近づくと命を吸い取られる。この矛盾が怖さを作っている。 怪物が牙をむき出しにして襲ってくるなら逃げればいい。だが、女宇宙人は恐怖と魅力を同時に持っている。

怖いのに目を離せない。画面を見てしまう。

欲望の比喩。吸血鬼が血を吸うのではなく、生命エネルギーを奪う。この設定はかなり象徴的。人間は危ないとわかっていても目の前の欲望を選んでしまう。生命力を奪われた人間は、さらに他人の生命力を求めるようになる。欲望が周囲へ広がっていく描き方は生々しい。

フン、また裸の話か。バカバカしい。畫面を見てしまう?要するに、男共が鼻の下を伸ばしているだけだ。欲望の比喩?屁理屈(へりくつ)だ。干からびて他人の生命力を求める?迷惑な連中だ。ほっといてくれ。露骨さがあればこそ記憶に残った?綺麗な名作を汚すな。

ラストは何を意味するのか――理屈よりも強引な誤魔化しだ

ロンドン崩壊。人々が次々と生命力を奪われ、街全体が混乱に飲まれていく。最初は一人の異星人から始まった危機が、都市そのものを壊していく。映像としての力はある。理屈よりも映像の強引さにある。

ロンドン崩壊?大げさな。初期対応を間違えた欠陥システムだ。光、死体、混乱、叫び、崩れていく街。そこに壮大な音楽。B級ホラーなのに遠慮しない。その結果、上品な終わり方ではない。忘れにくい終わり方。要するに、論理的破綻を派手な特効とヘンリー・マンシーニの壮大な音楽で誤魔化(ごまか)しただけだ。この怪作には音楽がもたらすカタルシスなど必要ない。ほっといてくれ。

カルト映画として再評価された理由――ホームビデオ時代に咲いた徒花

ホームビデオ時代に変な魅力が広がった。劇場では一度観て終わり。その場で理解しにくいと変な映画、つまらなかったで終わる。 だがVHSやDVDなら違う。夜中にもう一度観る。気になる場面を巻き戻す。カルト映画はこういう時間の中で育つ。

劇場失敗をそう言い換えるか。夜中に巻き戻して観る?そんなことをしているから一人の時間が充実しないんだ。何度も確認したくなる場面?要するに、裸の場面だろう。バカバカしい。

4Kレストアやブルーレイで映像面も見直された。特殊効果美術が見えるようになった。宇宙船内部の不気味な質感。干からびた人間の造形。ロンドンの終末感には手作りの迫力。湿っていて気持ち悪い手触り。1980年代のSFホラーならではの魅力。

欠陥住宅を外壁塗装だけ綺麗(きれい)にするようなものだ。手作りの迫力?今のCGにはない手間暇は認めてやる。湿っていて気持ち悪い感触?フン、俺の完璧に清掃された部屋には絶対に持ち込みたくないな。

つまらないのか面白いのか――教室の隅で変な模型を作っている生徒のような映画

普通の名作SFを期待すると戸惑う。物語は強引、人物の行動も急。説明が足りないと思った直後に説明過多。完成度だけで点数をつける人には向いていない。無駄のない脚本、落ち着いた演出、そういう映画を期待すると雑に見える。

面白いか?バカかお前は。完成度だけで見れば即刻解体レベルの欠陥建築だ。整っていないから妙な熱?要するに、熱暴走しているだけだ。教室の隅で変な模型を作っている生徒?フン、そいつは将来、立派な変人(建築家)になるか、ただのニートだ。最後まで観ると妙なものを見届けた感覚?要するにドブ掃除の後のような徒労感(とろうかん)だろう。ほっといてくれ。

カルト映画や1980年代ホラーが好きなら刺さる。1980年代SFホラーが好きな人、語りたくなる怪作が好きな人、マチルダ・メイの女宇宙人がなぜ語られるのか知りたい人。トビー・フーパー作品の中でも異色作を観たい人。 現代的なSFアクションを求める人には古く感じる。中盤で何を観ているのかわからなくなる人もいる。最後まで観れば妙な感覚が残る。

よけいなお世話だ。テンポが良い現代的なSFアクション求める奴には古く感じる?最後まで観ると妙な感覚?夜中に部屋の明かりを落として観る?見終わった後すぐに名作だったと言えないが翌日思い出してしまう?やれやれ。そんなものに囚(とら)われている暇があったらステーキの焼き加減を極めた方が有意義だ。

まとめ――80年代が生んだ怪物粗大ゴミ

興行だけを見れば成功作とは言いにくい。北米では製作費に見合う結果を残せず批評も厳しい。 あまりにも変だから消えなかった。詰め込みすぎ、裸、音楽。名作と呼ぶには荒い、失敗作と切り捨てるには濃すぎる。だからこそカルト映画。

綺麗(きれい)にまとめるな。失敗作は失敗作だ。要するに時代が作った巨大な粗大ゴミだ。 要素を詰め込み大作スケールでやった?予算をドブに捨てただけだ。女宇宙人の裸とロンドン崩壊。この二つだけで持たせている映画だ。忘れにくい厄介な魅力?フン、そんなものに囚(とら)われている暇があったらステーキの完璧なソース作りを研究する。

この記事を書いた人

「ホラー映画とは、設計ミスをした人間に下される鉄槌である」が持論の偏屈建築家。 お化け屋敷の動線からゾンビパンデミックの拡散シミュレーションまで、映画の中の「恐怖」ではなく「構造」を評価する。 ジャンプスケア(驚かし)には眉ひとつ動かさないが、非論理的な行動で事態を悪化させる登場人物には容赦なくダメ出しをする。 「一人で観る」のが基本スタイル。絶叫は騒音。以上。

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