興収4割で名作扱い?サスペリア2018の増築工事を採点してみた

1977年版の骨格に、戦後ドイツの重い記憶を継ぎ足す。
そんな野心的な工事を、この監督はやってのけた。

ダンスは魔術の装置になり、俳優は一人で三役をこなし、
音楽は振付が完成してから書かれた。手順としては悪くない。

それでも客足は伸びず、批評は真っ二つに割れた。
原作の監督本人までが、苦い顔でコメントを残している。

興行の失敗と、作品としての出来。この二つを一緒くたに語る前に、
現場の証言を一つずつ、僕の目で確かめておきたい。

目次

結論から言う。興収40.4%は失敗の証拠であって、駄作の証拠じゃない

『サスペリア』(2018)。世界興収は約808万ドル、製作費は約2,000万ドルと報じられている。単純に割れば約40.4%だ。

数字だけ見れば、これは苦戦した現場だ。だが、興収と作品の質を同じ天秤に乗せる連中は、雨漏りする家を安く建ったから成功、

と呼ぶ手合いだ。建築とは、施主の評判と構造計算は別勘定だという話なわけだが。

だから今日は、興行の失敗と表現の是非を切り分けて、施主の言い分と設計者の言い分を、両方まな板に乗せる。

数字の検査から始める。40.4%という数字の中身

回収率ではない、ということ

The Numbers掲載値では、北米興収が約248万ドル、北米以外が約559万ドル、世界興収は約808万ドルだ。製作費2,000万ドルで割れば約40.4%になる。

ただし、これを製作費の回収率と呼ぶのは施工不良の見積もりと同じくらい雑だ。興行収入は全額が製作者に入るわけではない。広告費、配給費、配信や放送の収入はこの数字に含まれていない。要するに、それはシステムのエラーだ。表面積だけで建物の価値を測っている。

初週末2館という慎重な着工

北米公開初週末は184,037ドル、たった2館だ。1館あたり約92,019ドルになる。これは全国一斉着工ではなく、狭い範囲での試験施工だ。

最大公開館数は309館。広く展開されなかった理由は資料からは断定できない。断定できないことは断定しない。それが最低限の誠実さだ。

魔女の恐怖に戦後ドイツを重ねる増築計画について

骨格は同じ、内装はまるで違う

1977年版と2018年版で共通する骨格は、アメリカ人の若い女性がドイツの舞踊団に入り、魔女の世界に接するという構造だ。ここは変わっていない。基礎は同じなわけだが。

だが新版は、そこに戦後ドイツのドイツの秋、つまりドイツ赤軍によるテロと社会不安という、まったく別の荷重を持ち込んだ。ドイツ歴史博物館は、当時の事件が人々に恐怖と無力感を広げたと説明している。

増築で建物は強くなったのか

荷重計算をせずに増築すれば、建物は傾く。監督のグァダニーノは、ナチ時代の責任を抱えた親世代と、それに向き合う子世代の葛藤に言及している。狙いは分かる。だが、魔女の恐怖と歴史の重さを同じ屋根の下に収めるのは、簡単な工事じゃない。

RogerEbert.comのレビューは、歴史的背景と中心の物語が十分につながっていないと批判している。増築部分が母屋と馴染んでいない、という指摘だ。ここは僕も設計者として頷かざるを得ない。荷重計算の甘い増築は、いずれどこかに亀裂が入る。

脚本は99ページ、初期編集は約4時間。この差をどう見るか

設計図は緻密だった

脚本家デヴィッド・カイガニックは、まず約40ページの詳細なトリートメントを作ってから、99ページの脚本初稿を書いたという。場面の順序まで整理した、設計図に相当する文書だ。ここまでの手順は模範的と言っていい。

ところが、映画の初期編集版は約4時間あったという。ダンスや稽古の場面を含むため、台詞の量だけでは完成映像の長さを測れないのは分かる。だが、設計図が緻密でも、施工段階で図面通りに収まらないことはある。最終的に152分まで削ったこと自体は、編集という名の解体工事として正しい判断だ。

魔女を「謎」で終わらせなかった設計変更

カイガニックは、公的な権力への道を閉ざされた知的で政治意識のある女性たちが、私的な権力をどう育てるのかを監督と話し合ったと述べている。舞踊団は若者を襲う怪物の巣であると同時に、外部から身を守るために作られた共同体にも見える設計だ。

共同体を維持する側が内部の弱者を犠牲にすれば、避難所は支配の場へ変わる。この矛盾を建物の構造として組み込んだのは、単なる恐怖装置以上の設計思想だ。ここは評価する。

「#MeToo」の看板を、この映画に勝手に貼るな

タイミングの偶然を、狙った企画に見せかけるな

公開時の記者会見では、女性中心の本作と「#MeToo」の関係が質問された。監督は運動の大きな意味を認めつつ、『サスペリア』の撮影はその大きな波より前だったと説明している。

長年温めた企画に、後から時代の看板を貼って売る。これはよくある商法だが、正直な仕事とは言えない。企画の出発点と、公開時の追い風は別の勘定だ。混同する評論は、施工前の見積もりに後から追加工事の値段を混ぜ込むようなものだ。

解放の物語でも、搾取の物語でもある

本作は、女性同士の連帯と、立場の強い女性による搾取を同じ場所に置いている。そのため、解放の物語として読むことも、権力の腐敗を描いた物語として読むことも可能だ。

どちらか一方に決めつけて語る評は、片方の壁しか見ずに建物全体を評価するようなものだ。二重性を二重性のまま提示したことは、この映画の数少ない誠実さだと思う。

企画がグァダニーノ自身の手に落ち着くまでの回り道

最初から一直線だったわけではない

グァダニーノはヴェネチア映画祭の公式コメントで、10歳のころ、アドリア海沿岸で原作のポスターを見た記憶を語っている。閉まった映画館の外に掲げられた一枚が、想像力を刺激したというのだ。

だが企画は、最初から彼自身の監督作として進んだわけではない。本人によれば、以前はデヴィッド・ゴードン・グリーンを監督に迎える構想があった。当時の自分の知名度では資金を集めにくいと考えたためだ。その計画が流れ、最終的に自身が監督することになった。

資金が集まらなかった過去は、恥ではない

最初から自分がやりたかった、という美談に仕立てる作り手は多いが、この監督は正直に回り道を認めている。資金力がなくて他人に任せようとした過去も含めて語る姿勢は、施工実績のない若手設計士が大手に下請けを頼もうとした経験を隠さないのと同じだ。恥じることではない。むしろ、そこから10年がかりで自分の手に取り戻した執念のほうを評価すべきだ。

撮影現場は「廃墟の復旧工事」から始まった

セットを作る前に、建物を人が使える状態に戻す

舞踊団の室内撮影は、北イタリアの山中にある閉鎖されたホテルで行われた。美術監督インバル・ワインバーグによれば、電気や配管の改修、暖房の設置、がれきの撤去、崩れた壁や天井の補修が必要だったという。

これは僕の本業そのものだ。美術を作り込む前に、まず人が安全に立てる建物に戻す。この地味な工程を飛ばして魔女の館を語る評論家がいたら、それは現場を知らない証拠だ。廃墟の復旧なくして、恐怖の演出なんてものは成立しない。

色を選ぶのも設計行為だ

ワインバーグは、日常の空間に灰色、ベージュ、茶色を使い、地下の魔女の世界にはムンクの絵画を参考にした濃い色を用いたと説明している。

派手な色を期待した客には地味に映るだろう。だが、生活の痕跡が残る色調は、異常な出来事を現実に近づける。美しい別世界に迷い込む恐怖ではなく、使い込まれた建物の奥に異常が潜む恐怖だ。これは設計として正しい判断だと思う。

ダンスという名の構造計算された暴力装置

振付師の設計思想

振付を担当したダミアン・ジャレは、動きが致死的な魔術を伝えることを重視したという。踊ることが、そのまま別の身体へ力を及ぼす設計だ。

これは僕好みの発想だ。装飾のための踊りではなく、機能を持った踊り。建築で言えば、意匠と構造が一致している状態だ。美しいだけの梁は、僕の事務所では通らない。

ダコタ・ジョンソンの1年がかりの施工

スージー役のダコタ・ジョンソンは、撮影の約1年前から身体づくりを始め、4〜5か月前から振付指導を受けたという。長く踊ってきた人に見える身体を、後から作り上げたわけだ。

1年の準備期間を経て、ようやく画面に説得力のある一人の踊り手が立つ。手抜き工事とは対極にある仕事だ。ここは素直に脱帽する。

ティルダ・スウィントンの三役は、名義偽装ではなく設計上の必然だ

実在しない俳優という悪ふざけ

マダム・ブランを演じるティルダ・スウィントンは、実際にはクレンペラー博士とヘレナ・マルコスも演じている。公開時に老医師役として紹介されたルッツ・エバースドルフという名義は、別の実在俳優ではない。

特殊メイク担当のマーク・クーリエは、三役を別日に撮影した事情まで説明している。憶測ではなく、確認できる事実だ。

一人の設計者が三つの部屋を作った、という話

指導する者、支配に固執する者、過去を抱える目撃者。この三役を一人の俳優が担うのは、悪ふざけのクレジット詐称というより、権力・老い・記憶という主題を一つの骨格に統合する設計判断だ。

ただし、この解釈だけに限定するのは早計だ。三役の意味をひとつの読みに固定するのは、設計図を一枚だけ見て建物全体を語るようなものだ。

オルガの身体破壊、そしてトム・ヨークの初仕事

CGでも、根性論でもない

オルガの身体が折れ曲がる場面は、俳優エレナ・フォキナの身体表現を土台に、偽の腕や脚を取り付け、本来の手足を視覚効果で消す方法で作られている。実演とCGの二択ではない。組み合わせだ。

クーリエは、実際の演者なのか観客が迷う現実感こそが恐怖の鍵になると説明している。複数の工程を経ても画面では一つの身体に見える。これは施工精度の話だ。継ぎ目を見せない仕事は、どんな業種でも尊敬に値する。

トム・ヨークは音楽の後付け配管をしなかった

音楽を担当したのはレディオヘッドのトム・ヨーク。Volkは振付が先に完成しており、ヨークはその踊りに曲を書く必要があったという。設計図ができてから配管を通す、正しい手順だ。

一方、Suspiriumの着想は脚本を読んだ段階で得ていたというから、全てが後付けだったわけでもない。順番を守るところは守り、直感で動くところは動く。この使い分けができる職人は少ない。

脇を固めた三人の女優と、原作主演女優の再登場という仕掛け

サラ、パトリシア、そしてアンケ

サラ役のミア・ゴスは、撮影前に2か月のダンス訓練を受けたという。厳しい練習が出演者同士の関係を作る時間にもなり、ダコタ・ジョンソンが茶を入れたり足を揉んだりして支えてくれたという逸話も紹介されている。現場の人間関係まで、稽古という名の工程の一部だったわけだ。

ゴス自身は、サラを観客と一緒に状況を解き明かしていく人物として説明している。スージーが舞踊団へ深く入っていく一方、サラは疑問を持つ。同じ建物を違う入口から見せる、これは構成として理にかなっている。

ジェシカ・ハーパーの再登場という意匠

1977年版で主人公を演じたジェシカ・ハーパーは、今回はクレンペラーの妻アンケとして登場する。主役から脇へ、若さから老いへ。この配役自体が、リメイクという行為の本質を静かに語っている。

派手な仕掛けではない。だが、こういう細部にこそ、設計者の意図が透けて見える。安易なファンサービスに見せかけて、実は構造の一部として機能している。悪くない仕事だ。

評価が割れるのは、増築計画の是非で客が分かれているからだ

賛否の中身

Rotten Tomatoesの批評家支持率は65%(335件)、観客評価は72%。Metacriticは64/100で概ね好意的の区分だ。65%は平均点ではなく好意的と判定された割合であり、Metacriticの加重平均とは仕組みが違う。混同するのは、坪単価と総工費を混同するのと同じだ。

肯定側の例では、Vanity Fairのリチャード・ローソンが、人物が主体性を獲得する物語として評価している。一方、RogerEbert.comは歴史的背景と物語の接続不足を指摘した。

原作監督本人すら、この増築を認めていない

1977年版のダリオ・アルジェント本人は、Rolling Stone Italiaの取材で否定的な見解を示している。自作とは大きく異なり、怖くないとし、テロやホロコーストの導入にも違和感を述べた。ただし同時に、グァダニーノの演出や才能自体は認めている。

施主が気に入らない、と言いながら、施工の腕は認める。これはよくある話だ。増築が母屋の持ち主の好みに合うかどうかと、増築の技術水準が高いかどうかは、別の話なわけだが。

総評:これは「怖い映画」の看板で売られた「重い建築物」だ

結論を言う。『サスペリア』(2018)は、興行的には苦戦した。世界興収約808万ドル、製作費約2,000万ドル、単純計算で約40.4%。ここに異論はない。

だが、興行の苦戦と評価の是非を同じ意味で扱うのは間違いだ。理由は三つある。

  • ダンス、母性、権力、戦後ドイツの記憶という複数の主題を同時に背負わせた、野心的な増築計画だったこと。
  • ダコタ・ジョンソンの1年がかりの身体づくり、廃墟の復旧から始めた美術、振付と音楽の順序立てた設計など、施工の質は高かったこと。
  • 評価が割れたのは、その増築が「豊かさ」に見えるか「荷重過多」に見えるかという、受け手の許容量の問題だったこと。

意味の多さと、映画としての面白さは同じではない。歴史の重さを背負わせた建築を「よくできている」と思うか、「もっと肩の力を抜けばよかった」と思うかは、客次第だ。

やれやれ。魔女の恐怖を求めて入った客が、出てくる頃には戦後ドイツ史のレポートを書かされている。この落差を楽しめる人間にだけ、僕はこの建物をお薦めする。

金魚鑑賞の話を一つしておく。僕は水槽の設計にも、住宅一軒分と同じ熱量をかける。水流、濾過、光の入り方。全てが噛み合って初めて、金魚は美しく泳ぐ。だが見物人の九割は赤くて可愛いとしか言わない。設計に込めた意図の九割は、誰にも気づかれずに終わる。

この映画も同じだ。制作陣が積み上げた歴史の考証、振付の理論、色彩の計算。その大半は、客の怖くなかった、よく分からなかった、の一言で片付けられる。悔しいだろうが、それが表現という商売の現実だ。ほっといてください、と言いたくなる気持ちは分かるが、それでも見せる相手がいる以上、伝わらなかった責任の半分は作り手にある。

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この記事を書いた人

「ホラー映画とは、設計ミスをした人間に下される鉄槌である」が持論の偏屈建築家。 お化け屋敷の動線からゾンビパンデミックの拡散シミュレーションまで、映画の中の「恐怖」ではなく「構造」を評価する。 ジャンプスケア(驚かし)には眉ひとつ動かさないが、非論理的な行動で事態を悪化させる登場人物には容赦なくダメ出しをする。 「一人で観る」のが基本スタイル。絶叫は騒音。以上。

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