原作者も裏切られたと嘆くサスペリア新旧、増築計画を検証する

同じ舞踊団を描いた映画なのに、1977年版と2018年版はまるで別の建物だ。
興収は真逆、色彩は真逆、主人公の立ち位置まで真逆。

それでも原作者アルジェント本人は、増築後のビルを見て裏切られた、とこぼしたという。
施主がそう言うなら、設計者としては聞き流せない話だ。

興行収入、色彩設計、音楽、そして結末の作り方まで、一次資料で一棟ずつ検査していく。
どちらが優れているかではなく、何が違うのかを先に見極める。

似ていない部分まで含めて、二つの建物は互いを照らし合っている。
その照らし方を、今日は僕の目で確認する。

目次

結論から言う。これは単なるリメイクではなく増築だ

1977年版『サスペリア』と2018年版。同じ舞踊団の話なのに、まるで別の建物だ。

旧作は、色と音で観客を悪夢に閉じ込める一棟建ての小屋だった。新作は、そこに母性、権力、戦争の記憶という荷重を三つも継ぎ足した。小屋を増築してビルにする工事なわけだが、果たして構造計算は通ったのか。

興行収入、関係者の発言、批評の中身を一次資料で検査する。感想文ではなく、施工報告書のつもりで読んでくれ。

興収の桁が違いすぎる。この比較はそもそも公平か

旧作は小さな小屋で大儲けした

1977年版の興収データは資料によって扱いが割れる。興行成績を集計する専門サイトThe Numbersが追跡しているのは主に再公開時のものに限られ、オリジナル公開時の正確な世界興収を一括で示す一次資料は確認できなかった。断定できないことは断定しない。

ただしWikipediaの記録では、イタリア国内で14億3,000万リラ、北米のレンタル収入(劇場が配給会社に支払う取り分)は約180万ドルとある。これはアルジェント作品としては過去最高で、配給元フォックスのその年の配給作品の中でも7位につける成績だったという。低予算映画としては十分すぎる数字だ。

新作は大きなビルで苦戦した

一方、2018年版の製作費は約2,000万ドル、世界興収は約808万ドルで約40.4%にとどまる。旧作が小さな投資で大きく儲けたのに対し、新作は大きな投資で小さくしか回収できなかった。

小屋とビルを同じ物差しで測るのがそもそも間違っている。だが、投資効率という一点だけ見れば、1977年の低予算小屋のほうが優秀な物件だったのは動かしようがない事実だ。

批評の受け止められ方も、公開時から正反対だった

旧作は賛否両論の低予算映画として出発した

1977年版の公開当時、評価は割れていた。映像の様式を評価する声があった一方、Wikipediaの記録では「ほとんどが残酷描写だけで筋や緊張感に乏しい」「『エクソシスト』に劣る」といった否定的な評も多かった。ニューヨーク・タイムズの評はささやかな魅力はあるが、神経質な観客には完全に失われる、という程度の扱いだった。

つまり旧作は、最初から名作として迎えられたわけではない。公開当時はただの低予算オカルト映画の一本であり、カルト的な人気と評価の定着は、あとから時間をかけて積み上がったものだ。

新作は公開直後から真っ二つに割れた

2018年版は、公開直後から支持と拒絶が同時に起きた。英国映画協会(BFI)が発行する老舗映画批評誌『Sight and Sound』の冷ややかな評と、業界紙『Screen Daily』の肯定的な評が、同じ時期に並んで出ている。

どちらの作品も、公開直後の評価は割れていた。違うのは、旧作が時間をかけてカルト的な地位を獲得したのに対し、新作はまだその途上にあるということだ。今の評価だけで名作か駄作かを断定するのは、竣工したばかりの建物に百年後の評価を求めるようなものだ。

色彩の小屋と、灰色のビル。設計思想がまるで逆だ

旧作は現実から目を背けさせる

1977年版の強烈な赤や緑は、現実の照明では説明できない色だ。BFIによれば、アルジェントは撮影監督に『白雪姫』を見せて色彩を検討したという。つまり狙いは写実ではなく、童話の悪夢に迷い込ませることだった。

壁も肌も血液も同じ色に染まり、建物と人間の境界が溶ける。美しすぎて信用できない空間というのは、設計として極めて挑発的だ。普通の建築家は、こんな危険な色彩計画を通さない。

新作は現実に恐怖を住み着かせる

2018年版は逆に、灰色、ベージュ、くすんだ色を基調にする。美術監督インバル・ワインバーグは、生活感のある色調で異常を現実に近づけたと説明している。

派手さを捨てて地味を選んだ判断自体は理解できる。だが、旧作のファンが色褪せた、と感じるのは当然の反応だ。原色の悪夢を期待して、灰色の事務所ビルに通された気分だろう。設計思想の転換は分かるが、客への説明責任は別の話だ。

1976年版と呼ぶ連中は、まず年号を確認しろ

ネット上でよく1976年版サスペリアという表記を見かけるが、これは不正確だ。グァダニーノ監督本人も、オリジナルは1976年に撮影され、1977年に公開されたと説明している。撮影年と公開年を混同して語る評論は、竣工前の建物を完成した、と報告するのと同じ初歩的なミスだ。

些細なことに見えるかもしれないが、年号ひとつ確認しない書き手が、作品の中身を正確に語れるとは思えない。基礎工事の年と引き渡しの年を間違える施工会社に、設計の善し悪しを語る資格はない。

踊りの役割が、装飾から構造材に変わった

旧作では踊りは舞台装置に過ぎない

1977年版では、バレエ学校という設定の比重に対して、踊りそのものが物語を動かす場面は多くない。踊りは建物の用途を説明する看板程度の役割だ。

新作では踊りが構造を支える柱になった

脚本家デヴィッド・カイガニックは、魔女たちがダンスを通して魔術を使うという案を提案したという。踊りが装飾から、建物を支える柱そのものに格上げされたわけだ。

特にオルガの場面では、一人の踊りが離れた場所の身体を破壊する。見た目は美しい意匠だが、実は構造に直結した荷重伝達の仕組みだ。これは僕好みの設計変更だと認める。意匠と構造を一致させる発想は、建築でも映画でも評価に値する。

主人公の設計が、まるで別人だ

旧作のスージーは観客の目線そのもの

ジェシカ・ハーパーのスージーは、事情を知らず学校の外から来た人物だ。観客と同じ立場で怯え、同じ速度で真相に近づく。設計で言えば、来訪者用の見学通路のような役割だ。

新作のスージーは最初から別の図面を持っている

ダコタ・ジョンソンのスージーは、終盤で自らが嘆きの母だった、と判明する。ただし脚本家本人は、彼女が冒頭から自分の正体を自覚していたわけではないとも述べている。

観客が「守るべき弱者」だと思っていた人物が、実は建物そのものを所有する地主だった。この反転は仕掛けとして上出来だ。ただし、見学通路のつもりで歩いていた客からすれば、終盤でいきなりここはあなたの持ち物でした、と言われるようなものだ。驚きはするが、納得するかは別問題だ。

魔女の組織図が、一枚岩から派閥争いに変わった

旧作の魔女は正体不明の支配者集団

1977年版の魔女たちは、個々の思惑より学校全体が敵であることが恐怖の中心だ。組織図を描く必要すらない、一枚岩の壁として機能している。

新作の魔女は派閥と投票を抱えている

2018年版は、マルコス支持派とブラン支持派の対立、投票という民主的な手続きまで見せる。これは組織を人間らしくしただけでなく、権力がどう維持されるかという別のテーマを建物に増築した結果だ。

女性だけの共同体だから自動的に平等、という甘い読みも、この派閥争いによって崩される。外の社会に抑圧された集団が、内部では別の弱者を作る。これは僕の信条である結婚なんてものは人生の墓場だ、にも通じる話で、どんな共同体も内部に支配構造を持つという、身も蓋もない現実だ。

音楽の設計思想も真逆だ

ゴブリンは警戒させる音

ゴブリンの音楽は、何かが起きる前から観客の身体を警戒させる。アルジェントは撮影現場でもこの音源を流していたというから、音は後付けの装飾ではなく、現場の空気そのものを作る装置だった。

トム・ヨークは悲しみに近づける音

対するトム・ヨークの音楽は、ピアノや歌声による哀しさやためらいを含む。監督は、ゴブリンとは異なる詩情とメランコリーを求めてヨークを起用したと説明している。

警戒させる音と、悲しませる音。どちらが優れているかではなく、建物の用途がそもそも違う。倉庫に求める性能と、礼拝堂に求める性能が違うのと同じだ。

クレンペラー博士という追加の離れをどう見るか

旧作にはなかった部屋

2018年版で大きく増築されたのが、心理療法士クレンペラー博士の物語だ。彼は若い女性の訴えを受け、舞踊団の異常に近づく一方、戦争で離ればなれになった妻の記憶を抱えている。1977年版にはこの離れは存在しない。

博士の問題は、超自然的な話を信じなかったことだけではない。自分が理解できる枠組みでしか他者の訴えを受け止めようとしない。知識や善意がある人間でも、相手の危機を十分に聞き取れないことがある。この離れは、単なる尺稼ぎではなく、別の主題を抱えた増築部屋だ。

慈悲なのか、新手の支配なのか

終盤、スージーは博士に妻の最期を伝えたうえで、彼の記憶を消す。苦痛がなくなるのは救いに見えるが、他者のために何が良いかを圧倒的な力で勝手に決める行為でもある。

これは建築で言えば、持ち主の許可を得ずに部屋の間取りを変えるような話だ。善意からの施工だとしても、無断で人の記憶という私有地に手を入れている。この離れをどう評価するかで、作品全体への印象もかなり変わる。

俳優の配役にも、建物の記憶を運ばせる仕掛けがある

ジェシカ・ハーパーの再登場

1977年版で主人公を演じたジェシカ・ハーパーは、2018年版ではクレンペラー博士の妻アンケとして登場する。これは単なる懐古的なファンサービスではない。

かつて悪夢から生還した顔が、今度は失われた人の記憶として現れる。旧作を知る観客には、物語の喪失感に、映画そのものの時間の経過が重なって見える。配役を通じて新旧の関係を感じさせる、地味だが効いた仕掛けだ。

結末の作り方も対照的だ

1977年版は、スージーが中心にいる存在を倒し、崩壊する学校から脱出する。雨の中の笑顔で終わる。悪夢の場所と主人公の間に、はっきりとした距離が生まれる構成だ。

2018年版は、スージーがその場から逃げることで終わらない。自らの正体を示し、マルコスとその支持者を裁き、苦しめられた女性たちには死によって苦痛を終わらせる。古い悪が消えたことと、世界が安心できる場所になったことは、別の話として残される。脱出で締める旧作と、裁きで締める新作。同じ土地に建った、まるで違う出口設計だ。

評価が割れるのは、増築の「どこを見るか」で変わるからだ

批評の対立

前述の『Sight and Sound』は、心理分析や社会史を詰め込んだ結果、オリジナルほどの恐怖や魅力に至っていないと評した。一方『Screen Daily』は、模倣に終わらず監督自身の視点で悪夢を再構築した点を評価している。

この対立は構造上当然だ。歴史を背負わせれば扱える主題は広がるが、説明に尺を取られる。魔女を複雑にすれば人間関係は豊かになるが、正体不明の恐怖は薄まる。増築とはそういうものだ。床面積を増やせば、採光と風通しが犠牲になる。

どちらが「正しい」かではない

難解だから名作、も怖くないから失敗、も、どちらも粗雑な判定だ。見るべきは、増えた部材が実際に建物を支えているかどうかだけだ。ダンスと暴力の結合は、設計と施工が噛み合った良い増築だった。政治的背景やクレンペラー博士のエピソードは、豊かさと見るか、重すぎる荷重と見るかで評価が分かれる。

原作者本人が「裏切り」と言った件について

グァダニーノの美談と、アルジェントの本音

監督グァダニーノは、アルジェント本人が試写後に電話をかけてきて「a great call」つまり称賛の言葉をくれたと語っていた時期がある。

ところがアルジェント本人は、別の取材でこう述べている。「It did not excite me, it betrayed the spirit of the original film: there is no fear, there is no music.」興奮しなかった、原作の精神を裏切っている、恐怖がない、音楽がないという、かなり手厳しい評価だ。

施主である原作者が、増築工事の仕上がりに裏切られた、と言っている。これは設計者としては重い話だ。公の場では祝福し、別の場所では不満を漏らす。この食い違いこそ、増築という行為そのものが抱える緊張をよく表している。母屋の持ち主の本音は、たいてい内覧会の挨拶とは違う場所に転がっている。

総評:似ていない部分まで含めて、互いを照らす二棟だ

結論を言う。1977年版は、色と音と空間の異常さを一点に集中させた、小さく強靭な小屋だ。2018年版は、そこに母性・権力・歴史という荷重を継ぎ足した、野心的だが完全には馴染みきらない増築ビルだ。

興収の規模感も、設計思想も、主人公の立ち位置も、ことごとく逆を向いている。それでも両者は無関係ではない。旧作のスージーが「周囲の嘘を見抜き、自分の判断で行動する」ことを求められたのに対し、新作のスージーを通して観客が問われるのは圧倒的な力を得た者の行為を、何によって正しいと判断するのか、だ。

美しい建物も、優れた芸術も、権威ある指導者も、人を守ってくれるとは限らない。この疑いだけは、小屋にもビルにも共通して埋め込まれている。

やれやれ。原作者本人すら本音では裏切られた、とこぼす増築計画を、僕らがどう評価するかは、また別の話だ。少なくとも、施主の愚痴は聞いておく価値がある。

クラシック音楽の指揮の話を一つしておく。同じ楽譜でも、指揮者が変われば演奏はまったく別物になる。テンポを早める者、間を伸ばす者、楽器の配置を変える者。原曲への敬意は共通していても、解釈は指揮者の数だけ存在する。これを原曲への裏切り、と呼ぶ聴衆もいれば、新しい発見と呼ぶ聴衆もいる。どちらも間違ってはいない。

『サスペリア』の新旧も、これと同じ構造だ。同じ楽譜から、まったく違う音が鳴った。アルジェントが望んだ音と、グァダニーノが鳴らした音は違う。だが、楽譜が同じである以上、どちらも『サスペリア』であることに変わりはない。気に入らない演奏を「裏切り」と呼ぶ自由も、原作者には当然ある。それも含めて、この増築計画は興味深い実験だったと言っておく。

  • Fan’s Voice/MUBI — ルカ・グァダニーノ インタビュー
  • The Playlist(米国の映画・エンタメ専門ニュースサイト) — ダリオ・アルジェントのコメント
  • Sight and Sound(英国映画協会発行の批評誌)/Screen Daily(英国の映画業界紙) — 2018年版の批評
  • Den of Geek(米英の映画・カルチャー系メディア) — 2018年版の結末解説
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この記事を書いた人

「ホラー映画とは、設計ミスをした人間に下される鉄槌である」が持論の偏屈建築家。 お化け屋敷の動線からゾンビパンデミックの拡散シミュレーションまで、映画の中の「恐怖」ではなく「構造」を評価する。 ジャンプスケア(驚かし)には眉ひとつ動かさないが、非論理的な行動で事態を悪化させる登場人物には容赦なくダメ出しをする。 「一人で観る」のが基本スタイル。絶叫は騒音。以上。

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